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親から真の愛情を注がれて育った子供は道を踏み外しても必ず元に戻る!

7月も終わりに近づいていた。

朝からの蒸し暑さは尋常ではなく、ワイシャツの背中はぐじょぐじょで、額からは次々と汗がしたたり落ちハンカチを使うのがばからしくなるほどだった。

総武線新小岩駅を降りて知人の会社へ向かう途中で信号待ちをしていたら、鞄にしまってある携帯の着信音がかすかに聞こえる。

面倒だったのでそのままにして歩き始めると、一度切れてまたすぐに鳴った。

鞄を開けて着信を見ると末娘からだった。

慌てて電話に出ると「一回目で出てよ」と文句を言う。

「用事はなに?」

「今日学校に来て。1時に担任と会って」

娘は東京郊外の女子高校の2年生だった。

学校は小平市に所在するから新小岩とは都心を挟んで対角線上にある。

総武線から中央線、西武線と乗り換えるから1時間で行くのは到底無理だった。

娘と待ち合わせ場所を決めて電話を切った。

打ち合わせが終わると知人から昼食に誘われたが、断って電車を乗り継ぎ学校の最寄り駅へ着く。

娘が不機嫌そうに待っていた。

担任と会わなければならない理由を娘は面倒くさそうに説明した。

校則では髪を染めてはいけないことになっているが、夏休みなら見つからないだろうと思って薄く染めたのだが、終業式の一日前で担任に見つかってしまった。

なんとも間の抜けた娘だ。

髪の色は元に戻すと言ったが娘の反抗的な態度もあり、担任は親との三者面談を決めたのだろう。

教室で待っていると担任は間もなくやってきた。

40代後半の眼鏡をかけた男性教師だった。

髪の色を染めたことが校則違反であることを説明し終えると、堰を切ったように娘の反抗的な学校生活を話し出したのです。

一通り聞き終わって娘に言いました。

「そんなにいやなら学校をやめなさい」

娘は言う。

「絶対嫌だ。絶対にやめない」

「そんなに辞めたくなければ、校則を守りなよ。守りたくなかったら学校をやめる。どちらかにしなさい」

親子のやり取りを黙って聞いていた担任の表情が少しずつ柔和になっていくのがわかった。

だが、下された罰則は厳しいものだった。

「夏休み中に二度と髪を染めることがないか確認のため、三日に一度登校してください」

これには娘も唖然としたようだった。

「登校しなければどうなりますか?」

「夏休みが終わった段階で校長や風紀担当の教師に相談します。ただし、やむを得ない事情があったら相談してください」

中学生のころから反抗期が続く娘にとって、夏休みの三日に一度の登校なんて大好きなマンゴウプリンを1年間食べるなと宣告されたに等しい。

いや、いや、風呂に入るのは1月に一度にしろと言われるほどの苦痛だろう。

長女、長男、次男そして次女。

4人兄弟の末っ子であり、しかも長女とは15歳、3番目の次男とでさえ5歳も離れて生まれたのだから、我が家では両親のみならず上の子供たちからもちやほやされて育ったのです。

乳児から幼稚園にかけては、まさに天使のような存在だったと言っても過言ではない。

だから、愛情いっぱいに育ったことも事実、甘やかされて育ったことも事実でした。

小学生の頃は家族の期待通りに育ったやさしい子だった。

家庭訪問で担任の先生から「大事に育てられたのがよくわかるお子さんです」と言われたことを妻は嬉しそうに語っていたものです。

しかし、その末娘も中学生になると反抗期が始まった。

親に対する口の利き方がぞんざいになり、学校でも問題を起こすようになったのです。

夏休みが終わって間もなく、友人の自由研究に使う目的で、学校の図書室にある理科図鑑の意写真を一枚切り取ってしまったからたまりません。

しばらくして他の生徒が写真の切り取られた図鑑を見てビックリ仰天。

先生に報告して学校中が大騒ぎになりなったようです。

そして、娘たち三人が名乗り出て、それぞれの親が個別に呼ばれたのでした。

この時も娘から言われ、父親の私が学校へ謝罪に訪れたのです。

中学生になってから母親とはよく話すが父親とはあまりしゃべりたがらない娘でしたが、こんな時だけは私の出番だった。

頼もしいからなのか、甘いからなのかと言われれば断然、後者が理由だったでしょう。

図鑑の写真切り取りでは担任から弁償の話も出て、当然そうするつもりでいましたが、話はいつの間にか立ち消えになりました。

謝罪に訪れた時、担任のなんとも複雑な表情が忘れられません。

「あまりにもアッケラカンとしていて、正直な子ととらえてよいのかどうか・・・・・。あまり見かけないタイプですね」

正直で嘘のつけない子であることは間違いないのですが、こんな大胆極まりない不始末をやってしまった今となっては、何を言っても娘をかばっているととらえかねないので、ただひたすら謝り続けました。

図鑑から写真を切り抜いてしまった大胆不敵で、荒唐無稽な事件が一段落したころ私は娘に手紙を書きました。

叱責する言葉は一言も述べずに、素直で笑顔を絶やさなかった幼いころのこと、きっと楽しい未来が待っているはずだ。

そして、いつも君の味方で、応援団長だから何か困ったらいつでも言ってきなさい。

そんな内容だったと思います。

この手紙について娘は一言も言ってきませんでした。

だが、それ以降は学校に呼ばれるようなことは一度もなかったのです。

あれから三年、娘はまた、また夏休みに問題を起こしたのです。

しかも、あと一日待てば髪を染めたことなど学校に発覚することなく夏休みを過ごせたのに。

反抗期とはいえ、相変わらずやることはどこか抜けているのです。

他人から見たらなんとも馬鹿な子に見えても、親からするとそのうっかりしたところが可愛いし、また憎めないところでもあるのです。

今度は高校の担任宛に長い手紙を書くことにしました。

北海道に一人で住んでいる祖母が、娘と会える夏休みをいかに待ち望んでいるか。

7人いる孫の中でも最年少なので、祖母も特にかわいがっていること。

我が家ではこれまでも、子供たちは夏休みのほぼ1か月間を北海道で過ごしてきた事実などを具体的に書き連ねました。

この手紙を娘に持たせ、直接担任に手渡すよう言いつけたのです。

この時だけは、彼女も素直に従いました。

先生は職員室で手紙を読み、その間彼女は教室で待っているよう指示されたのだと言います。

しばらくして教室へ入って来た担任は言いました。

「そんな事情なら仕方がありません。罰則はなしにします」

この時も娘はから直接、礼の言葉はありませんでした。

だが、妻には言っていたようです。

「お父さんによろしく言って」

10数年も一緒に住んでいるのですから、娘のことは他の誰よりもわかります。

少し危なっかしいところはあるが、大きく道を踏み外すことはないだろうとの思いはありました。

親の勘であるとか、ひいき目もありますが、もう一つ大きな理由があったのです。

私が公私ともに尊敬する社長の言葉がその理由でした。

土建関係の仕事をしている社長は多くの職人を抱えています。

この職人たちがスゴイ。

何がすごいかと言えば、よそで使い物にならなかった若者を引き取って一人前に育てた職人が大半なのです。

問題を抱えた若者や元不良だった若者を積極的に引き受け、一人前に育て上げたのですから並の人ではありません。

だが、見た目はごくごく普通の親父で、よくしゃべります。

ただしゃべるだけではなくて口が悪くて、私など初対面の時からお前呼ばわり。

だが、口とは裏腹に気に入った者は、とことん面倒を見ます。

逆に自分の眼鏡にかなわない者には容赦ありません。

「社長また今度お邪魔させていただきます」

「いや、もう二度とこなくていいよ」

やさしいけれど厳しい。

辛らつだが人情に篤い。

このような方と心から付き合えるようになると、教わることが本当にたくさんあります。

その社長が、真剣な顔で私に話したことがあります。

何の脈絡もなく突然、言い出したのです。

だからなお、強く印象に残っているのかもしれません。

「小さいころ、親の愛情をまともに受けて育った子供は、多少道を外れても必ず元の良い子に戻るもんだ」

私はこの言葉を信じていたので、娘をも信じ切ることができたのです。

30歳に手が届くまでになった娘ですがまだ独身。

いい子です。

今も彼女は東京に住んでいますが、毎年夏になると北海道へ戻った私を訪ねてくれるのです。

お土産をいっぱい抱えて。

るい・恋愛哲学
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