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人と人は心の触れ合い、誠意を尽くせば奇跡が起きる!

愛し愛されるのは男女の間だが、男同士でも好かれることは大事。

誠意ある者に人は好感を抱いてくれる。

そして『誠心誠意』の命を懸けた行動は、時に奇跡さえ起こします。

この話は実話です。

自分の経験した範囲しか信じられない方は、ここでページを閉じてください。

私は一時、15億円もの借金を背負い人生に終止符を打ちたくなるほど悩み苦しみましたが、自己破産はしていません。

当然ながら、自己破産できない理由があったからです。

事業が行き詰まり、金利の返済も滞りがちになっていた時、懇意にしていただいていた金融機関の常務理事から呼び出され本店の会議室で面談しました。

常務が切り出しました。

「社長、このままでは終われないでしょ。かと言って何も手を打たなければ、このまま討ち死にですよ」

「2千万円融資します。これで、何とかしてください。担保は何でもいいです。3番、4番担保でいいですから形だけは整えてください」

「それと、社長の会社に直接融資できません。社内稟議が通りませんから。他にペーパーカンパニーがあったでしょ。そちらで良いですから、誰か他の人を社長にして書類を作成してください」

同席していた課長と若い社員は一言も発しないまま面談は終わりました。

もう完全に詰んでいて、この先の展望など全く描けなかった私にとって常務理事の申し出は、まさに『地獄に仏』。

後先のことを深く考える余裕などなかったので有難く提案を受け入れ、当時大学生だった長女を社長に据えて融資を受けることにしたのです。

素直な娘だったから、親のやることに一片の疑いも持てるはずはありません。

すぐに実印を登録し、印鑑証明書をそろえてくれました。

借用書に娘の実印を押し印鑑証明書を金融機関に預け、融資が実行されました。

この瞬間に娘は、2千万円の保証人となったのです。

だが当時の私は計画性もなく、緻密さなど求める方がおかしい精神状態でした。

これといった技術や他に比べて突出した才能があるわけでもありません。

行動力と運だけでやってきたのだから、バブル崩壊後の厳しい経済状況下では何をやってもうまくいくはずがなかったのです。

常務理事の好意で融資を受けた2千万円は、1年ほどで使い果たしてしまいました。

平成8年(1996年)ころのことでした。

この頃すでに大手銀行が複数潰れ、間もなく追加融資してくれた金融機関も危ないとの噂が立ったのです。

2千万円の追加融資を受けて約2年後、噂は現実となり懇意にしていた金融機関はつぶれました。

家が競売にかけられ、残った債権は整理回収機構に譲渡されてしまいます。

それを機に状況は一気に悪化して、金融機関や債権を保有する会社への対応で私は疲れ果てていました。

死にたいと思った事は何度もありましたが、具体的に死の方法を考えるまでには至りませんでした。

ただ、毎夜、眠りにつくときは、

「もうこのまま、明日が来なければよいのに」

そう思う日が続いた記憶は今も鮮明です。

当然ながら自己破産を考えましたが、私が自己破産すると追加融資2千万円の取り立ては娘に向かうことになります。

 連帯保証人とは恐ろしいものです。

だが、悔やんでみても始まらない。

自分が踏みとどまる他に娘を救う方法はなかったのです。

前後を考えない軽率極まる行動で、家族を巻き込むなど最低の男でした。

しかし、どんなに悔やんでも解決できる訳ではありませんから、娘に取り立ての牙が襲いかかるのだけは何としても阻止しなければならない。

死を考えている場合でもなければ、落ち込んでいる暇もないのです。

潰れる前の金融機関や債権を引き継いだ整理回収機構には、娘を保証人から外すよう何度も交渉し、時には机に頭がつくほどお願いを繰り返しました。

しかし、返ってくる答えは決まっています。

「金融機関は生きている保証人をはずすことはできません。逆に増やすことはできますが」

整理回収機構で一度だけ悪態をついたことがありました。

いつもは2人での対応だったが、その日の整理回収機の席には3人いました。

そのうちの真ん中に座った初対面の男が、驚きの一言を言い放ったのです。

「返せないなら、家まで行って身ぐるみしっぺ返しますよ」

「何、やれるならやってみろよ!あんたに、俺の家に土足で上がる権利があると思っているのか?俺は、お前から金を借りたわけじゃないんだ」

こういうのがいます。いつの時代もどんな業界にも。

人の無知に付け込んで脅すことが仕事だと思っているアブナイ奴が。

債権者が法的な手続きもせず、債務者の家に上がり込んで金目の物を持ち去るなんて、三流映画か戦前の話でしょうに。

面談室にはなんとも気まずい空気が流れました。

「まあ、今日はご挨拶ということで」

相手側の一人が気をきかせて、次回の面談日時を決めて解散となりました。

 次の面談では相手側は二人に戻っていました。

ただし前回、気まずい雰囲気になった三人は誰一人いません。

初対面のH部長が真剣な面持ちで何故、複数人で対応するのか、どうしてこの部屋に至るまで、3度もセキュリティを通らなけてはいけないのかなどを、細かく説明してくれたのが印象的でした。

この時は全く気にも留めていませんでしたが、このH部長との出会いが私の人生に大きな影響を与えることになるのです。

この部長にも勿論、娘の保証人取り下げについてお願いしました。

だが、やはり答えは他の皆さんと変わりません。

もう自分でも飽き飽きするほど、同じお願いを繰り返し続けました。

相手もまたかという表情で、こうなると互いに儀式のような感覚になってしまうのですが、こちらとしては飽くことなく言い続けなければならないのです。

しかし、世の中は何が起きるかわからないもの。

後で振り返り「あれが人生の大きな分岐点になった」と思う出来事が間もなく起きるのです。

互いに飽き飽きするような儀式が続いたある日のこと。

H部長から突然、私の携帯に連絡が入りました。

「明日の午後必ずこちらに来てください。私は近々、転勤になります。会うのは最後ですから、必ず来てください、いいですね」

必ず二人以上で対応すると説明を受けていましたが、その日は面談室へ部長一人で現れました。

挨拶もそこそこに、部長が話はじめます。

声はいつもより抑え気味。

「どうやっても娘さんを保証人から外すことはできません。でも、この書類を後でじっくり読んでください。いいですか、ずーっと保管しておいてください。何かあったら担当の者にこの書類を見せてやってください」

その日は珍しく部長がエレベーターまで送ってくれました。

「もう会うことはないだろうね」

「どちらへ転勤されるのですか?」

「中部地方です。それ以上は勘弁してください」

「お元気で」

私はエレベーターのドアが閉まってからも、しばらく頭を下げたままでいました。

と言うより、こみ上げるものがあって顔を上げられなかったのです。

交渉を始めて7、8年が経っていた頃の話です。

H部長は私の願いをずーっと気にかけていてくれたのでしょう。

部長から渡された書類を持って、その日のうちに弁護士事務所を訪ねました。

私は借金返済で、弁護士にはほとんど相談していません。

だが、この書類だけはどれほどの効力を持つのか、専門家に聞きたかったのです。

H部長を信頼はしていたが、専門家の意見が欲しかったのです。

「これは、上手くやったね」

私より一つ若い、実に冷静な弁護士です。

その一言で、私はようやく安堵できました。

今はもう懐かしい思い出ですが、金融機関の人間から数々の罵詈雑言を浴びせられました。

「あんたは、それでも人間かよ」

「良い人はみんな早く死ぬんだよなあ」

一時期、日本の自殺者は3万人を超えたことがありましたね。

でも、いま振り返ってみれば、H部長のように好意的な人に恵まれ人生あることは間違いありません。

生き延びてこられたのはそのおかげかも知れないと、接した人々には心から感謝しています。

最も大口だった債権者も潰れてしまったのですが、こちらは債権を外国企業に売りました。

潰れた会社で残務整理をしていた専務が、清掃のアルバイトをしていたショッピングセンターまで、私を訪ねてくれた事もあります。

ショッピングセンター内で、蕎麦を食べながら常務は言いました。

「ヨーロッパの会社に御社の債権を売りましたから了解してください。会社と言っても、日本に支社も支店もありません。弁護士が窓口になっているだけです」

「100%大丈夫だとは断言できませんが、目立つようなことをしなければ、おそらく請求は来ないと思います。 まあ、死んだふりしているのが一番ですよ」

親会社である生命保険会社がお金を払って、不良債権を一括して買ってもらったのだという。

だから、請求が来る確率は低いとの説明でした。

債権者がお金をつけて第三者に債権を引き取ってもらう。

貸した方も不良債権処理に苦労した懐かしい時代です。

理由はよくわからないが、その後整理回収機構の債権がサービサーに売られました。

その頃には別のサービサーに勤めていた人物と懇意になっていて、この知人から有難いアドバイスを受けることができたのも、実に幸運でした。

そのアドバイスに従い、サービサーへの返済は間もなく終わったのです。

バブル崩壊後しばらくの間、信じられないほど二束三文の価格でサービサーは金融機関から不良債権を買いとっていました。

極端な例では、3億円の不良債権を100万円で買うケースもあったようです。

しかも、融資していた銀行から直接買ってその額ですから、整理回収機構からサービサーに売られた私の債権譲渡は二度目なので、分りやすく表現すれば不良債権の大バーゲンセール。

これはもう二束三文以下に違いないというのが、知人の考え。

その助言にしたがって私はサービサーの担当者と直接会い、返済額の交渉をしたのです。

サービサーは債権の買取り額にいくらかでも上乗せできれば赤字にはなりません。

債務者と連絡を取ることすら難しいのだから、こちらからノコノコ出かけるなんて、サービサーの担当者にしたら、カモがネギを背負ってきたような話です。

債権買取を業としているところは利ざやさえあれば、早期の処理を優先します。

返済の金額は、2度目の交渉であっさりとケリがつきました。

これにより、娘は晴れて2千万円の保証人から解放されたのです。

あの日、東京駅近くで見上げた快晴の空。

あの、青さが今も瞼の奥に焼き付いたままです。

サービサーへの返済が片付いて、また弁護士を訪ねたのですが、その時に言われたことが忘れられません。

「まあ、よかったね。サービサー法のお陰だよ。サービサー法が出来ていなかったら、債権が暴力団に売られてしまうから。以前は、そうなる前に自己破産しか選択肢はなかったのでよ」

現在は、サービサー法に暴力団対策法が加わり、暴力団は債権の取り立てが一切できなくなっています。

でも、これを知らない人も多くいるようです。

H部長の粋な計らいにより娘の保証人問題が一段落すると、他の借金問題も一気に解決へとむかうのだから、人生は本当に不思議で不可解なもの。

他の人から見たら自業自得だと思われるかもしれませんが、私にとってこれは奇跡です。

何度となく、一見儀式のような繰り返しの中でH部長が私に親近感を覚え、信用してくれたのだろうと思っています。

私も面談を重ねるうちに部長に対して好感を持つようになり、とても信頼できる人柄だと思うようになっていました。

あきらめてはいけない。

願いは人の心に通ずるもの。

だが、ただ願っているだけでは何も起こりません。

行動すること。

頭を下げるのも行動、涙を流すのも行動、困難に見舞われた時こそ積極的に行動を起こすべきではないでしょうか。

そして、人は自分のことよりも、たとえ家族であっても誰かのために必死になった方が力を発揮できるのかもしれません。

逃げ回るよりは、前へ突き進んだ方が結果が伴わなくとも納得できるし、次の教訓になるのは間違いないでしょう。

なお、関係した人たちがすでに退職し、万が一にもご迷惑がかかることはないと判断して、この記事を書きました。

るい・恋愛哲学
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