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傷つく勇気から来る人間的成長

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傷つくことと人間としての成長

あなたは誰かの態度や言動によって傷つけられたことはありますか?

また逆に誰かを傷つけてしまった経験はありますか?

私はどちらもあります。

傷つくことは辛いことですが、長期的に見るとその経験は大きな成長を促してくれるものです。

だから、傷ついた方が強くなって人から何か言われても動じなくなり、傷つくことで寛大で優しい人へと成長していくことが出来ます。

それでは皆、どのように成長しているのでしょうか?

傷つくことは辛い

傷つくことは辛いことです。

ある人は暫くは立ち直れなくなるかもしれません。ある人は寝たら翌朝には立ち直れるかもしれません。

その立ち直る度合いを作っているのは、実は自分自身だったりするのです。

例えば失恋したとしましょう。

ある人は翌日出かけて出会った人と付き合って失恋を忘れるかもしれませんし、ある人は女友達に愚痴れば立ち直れるかもしれません.

ある人は泣くだけ泣いたらスッキリするかもしれませんし、ある人はお酒に逃げてアル中になるかもしれませんし、ある人は何年も引きずるかもしれません。

たまに傷つくのが好きな人もいますが、傷ついて辛くない人の方が数的には少ないです。

傷つけた方はもっと辛い

そこで、「傷つけた方はもっと辛い」ことをお話ししておきましょう。

確かに傷つくのは辛いですが、傷つけたらもっともっと辛いのです。

しかし、最近は失恋などで人を傷つけたくないがために会わずに、SNSでフェイドアウトさせてしまう人も多くいます。

相手が傷ついて泣いたかなどは分からないと思います。しかし、実際には人を傷つけたら回り回って別の形になって、その辛さはその人の元へと返ってくる。

すなわち、因果応報という結果を招いてしまいます。

本気で謝ればやり直せる

誰かを傷つけたとしましょう。

それが本当に心底相手が憎い場合でなかった時、やり直すことが可能です。

人は誰しもが完璧なわけでも賢いわけでもないので、伝え方が不器用で思ってもいないことを口にしてしまったり、相手を誤解させてしまうような物の言い方をしてしまうことも会話の中では起こり得るのです。

ある意味、言葉が意味を成さないというのは、そこです。

どのような人間関係でも、言葉が全てな訳ではないのです。

手話を使う人や宇宙的な視野から見たら、言葉が全てという考え方などナンセンスで愚か者の戯言でしかないでしょう。

言葉ではなく、魂で繋がる

コロナ禍において人は魂での繋がりを求める時代になりました。

会わなくても本当に必要な人、大切な人とは心で常に繋がっているのです。

また、魂のご縁も増えたのではないかと思います。

知り合った相手が子供の頃に住んでいた場所と同じ場所で育ったり、一時期通っていた場所に同じ時期に居たり、誕生日が同じだったり。

会社や学校が同じとか利害などは関係のない、祖先や見えない力によって導かれて知り合った共通項の多い不思議なご縁の人たちです。

傷つくことはツール

例え、人生の出会いの中で傷つくことが沢山あっても、その後に自分が本当に求めてきたような友人、パートナー、家族に巡り会えたとしましょう。

すると、それまでの人生が全て帳消しになるくらい、過去の出会いは感謝すべき出会いへと変わります。

傷つくことは、私たち1人ひとりが人生においてステップアップするためのツールにしか過ぎないのです。

傷つくことは一過性のもので、一生傷つき続けているわけではありません。

傷ついたら少し休んで自身を癒やすことで、また前を向いて進んでいくことが出来ます。

ゲーテの言葉

誰かの傷ついた人への優しさはどこから来るのでしょう?

最初から優しい人もいます。

しかし、誰かの傷や悲しみを理解できるのは、同様に傷ついたり悲しんだ経験を持つ人だけです。

ドイツの詩人であり小説家であり劇作家であったヨハン・ヴォルフガング・ゲーテの格言に「涙と共にパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」という言葉があります。

これはまさに、私が若い頃にある男性からメールで送られてきた言葉で、今思うと「お前のような人生を知らない甘ちゃんが自分と付き合うのは無理」と遠回しに言われたのだと思います。

傷ついてこそ、人は優しくなれる

「人は傷つくことで人に優しくなれる」とは、割とよく言われていることです。

しかし、ちょっとの浅い傷程度では、なかなか他者の痛みを本気でわかるようになるのは難しいでしょう。

例えば、擦り傷しかしたことのない人が、脳梗塞の人の気持ちを理解出来るかとしたら難しいでしょう。

ただ、本当に生死を彷徨うくらいの辛い経験を繰り返したとしたら、毎日泣いて過ごしたとしたら、人の痛みに対しても敏感に想像力が働き、相手の気持ちに置き換えて考えられるのです。

遅咲きに得られる幸せ

バブル期前後の女性は、短大に行って花嫁修行をして結婚して相手に養ってもらうと言う、苦労を避けた安易な道を選んできました。

しかし、結果、離婚をして後悔する人も一定数います。

それは、その人の人生なので今度こそ立て直してやり直せば良いと思います。

傷ついても逃げずに自分の人生を生きること。

本当の意味でその人の人生を豊かで幸せなものへと導き、苦労してきた分の大きな幸せを得られます。

それを世間では「大器晩成」と呼ぶのです。

るい・恋愛哲学
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